番号 | 問題 | 答え |
1 | 701年に、唐の律令にならってつくられた律令は? | 大宝律令 |
2 | 班田収授の法では、6年ごとに戸籍を作り、6歳以上の男子に2段(約23アール)、女子にその3分の2の土地が与えられた。この土地を何と言うか? | 口分田(くぶんでん) |
3 | 口分田にかけられた税である租(そ)では、収穫の何%を役所に収めることになったか? | 約3% |
4 | 農民への税として、租・庸・調がかけられたが、調では何を税として納めるか? | 地方の特産物 |
5 | 庸では、何を税として納めるか? | 都での10日間の労働の代わりに、布を納める。 |
6 | 708年につくられた貨幣の名は? | 和同開珎 |
7 | 710年に、元明天皇が奈良の平城京に都を移したが、どこの都をまねてつくられたか? | 唐の長安 |
8 | 聖武天皇が国ごとに建てることを命じたものは? | 国分寺と国分尼(に)寺 |
9 | 聖武天皇は、大仏を総国分寺である寺に造ったが、その寺の名は? | 東大寺 |
10 | ため池や橋、道路の建設などを行い、大仏づくりにも協力した僧の名前は? | 行基 |
11 | 東大寺にある、聖武天皇が使っていた日用品や美術工芸品を収蔵している建物の名前は? | 正倉院 |
12 | 正倉院は、高床式で、外壁を三角形の木材を組んでつくる方式で建築されている。この方式を何と言うか? | 校倉造(あぜくらづくり) |
13 | 聖武天皇の皇后で、貧しい病人や孤児のため、施薬院や悲田院をつくった人の名前は? | 光明皇后(光明子) |
14 | 723年に、口分田の不足のため、開墾すれば、三代その土地を私有できる法を作った。この法の名前は? | 三世一身の法 |
15 | 三世一身の法の効果が一時的でしかなかったため743年に、切り開いた田は、永久に自分のものとしてよいという法を作った。この方の名前は? | 墾田永年私財法 |
16 | 墾田永年私財法のあと、経済力のある貴族や寺社は、荒れ地や山林を切り開き、私有地とした。この私有地は、後に何と呼ばれたか? | 荘園 |
17 | 630年に第一回の遣唐使として送られた人物の名前は? | 犬上御田鍬(いぬがみのたすき) |
18 | 8世紀の初め、留学生として唐にわたったが、帰国の船が難破するなどで帰国できず、一生唐の皇帝に仕えた人物は? | 阿倍仲麻呂 |
19 | 唐から来た僧である鑑真が、奈良県に建てた寺の名前は? | 唐招提寺 |
20 | 聖武天皇の時に最も栄えた奈良時代の文化を何と言うか? | 天平(てんぴょう)文化 |
21 | 奈良時代に編集された歴史書をつくられた順に答えよ。 | 「古事記」「日本書紀」 |
22 | 朝廷が地方の産物や伝説などをまとめるよう国司に命じた。このことにより完成した記録集は? | 風土記 |
23 | 奈良時代末にできた、日本最古の和歌集は? | 万葉集 |
24 | 「万葉集」に収められている山上憶良が、農民のつらい気持ちを詠んだ歌は? | 貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか) |
25 | 万葉集で用いられた、漢字の意味の部分を切り捨て、その音の部分を活用し、日本語を書きあらわすために用いられた言葉は? | 万葉がな |
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